沖縄を飛び出して二十五年もの歳月が過ぎてしまった。
「壊してしまえ!」と思い、自分自身を変えてしまいたくて“ウチ
ナーンチュ”である事に決別を告げ、過去を断ち切り突っ走ってき
たつもりなのだが、私の意志とは裏腹に、沖縄という島の存在がい
つも背中に重く乗しかかっていた事は否めなかった。
人は常に二つの道の分岐点に立たされていて、選択を迫られてい
る。「無難な道」を行くか、「苦難の道」を行くかである。そこに
とどまる事も選択肢としてはあるのだが、「無難な道」を選ぶ人が
多いのではないのだろうか。
東京に出て来てからの私は岐路に立つ度に「苦難の道」を選択し
てきた。人の引いた既成のレールに乗らず、自分で築いたレールを
敷き込むことで退路を断ち、常に後戻りのできない状況に身を置き
たかったからである。
誤解を恐れず言うと、その頃の私は「沖縄的な発想では駄目だ」
と自分に言い聞かせていた。「ナンクルナイサ」ではなく「今ヤル
しかない!」と自分自身を追い込み、這いずりながらでも志した道
を目指した。暗中模索ではあったが、沖縄を否定し捨て去ることで
自分自身の壁を乗り越えたいともがいていたのかもしれない。
思い返してみると、沖縄自体が良い意味での反面教師であり、私を
触発し刺激する存在だったのではなかろうか。
私は想像したことを創造に変えて“カタチ”に残したいと思い、
これまで店鋪デザインの世界に携わってきた。おもしろいもので、
海外のメディアから紹介される時に、私の手掛けるデザインは日本
的ではなく「独自の感性を持ったデザイナー」と表現され「独特の
歴史を持つ極東の小さな島である沖縄にルーツが在る」と沖縄をク
ローズアップされ紹介される事が多い。その他にもウチナーンチュ
であることを思い知らされる事が多々あり、今更ながらに沖縄の存
在の大きさを痛感せずにはいられない。
生まれ育った場所を遠く離れて生きてきたが、沖縄という島は私
の生き方に様々な形で多大なる影響を与えてくれた場所であり、か
けがえのない原点である。
たかが“ウチナー”されど“ワッタァー島ウチナー”である。
|