【コラム9】 『終わりは始まり』 ―兼城祐作―
“ドゥシグワァー”とはかけがえのない存在である。
 五月の連休明けに予期せぬ奴からの連絡が入った。昔の友で二十
年振りに聞く声である。沖縄旅行中に新聞のコラムを読み、ネット
で調べて連絡してきたらしい。東京に出てきた頃のバイト仲間で、
とことん喧嘩しガキの如く付き合った奴である。さっそく会い、失
った歳月を補充するかのように朝までとことん飲み明かした。
十年後の再会を約束して別れたが、奴が去り際に呟いた「生きてろ
よ」という言葉が私の胸に突き刺さった。
 あの頃を乗り越えてきたからこそ今が存在し、この瞬間を精一杯
生きなければ十年後に奴とは会えないなとつくづく感じた。
何をやったかよりも、今何をやるかが大事ではないのだろうか。
 四十四にもなって改めて実感するのだが、人は財産である‥…と
言いつつ、仕事の忙しさを言い訳にして仲間と会えずにいるのが現
状で「付き合い悪いぞ」と文句を言われている次第である。
だが、沖縄では何故かいろんな奴と会ってしまう。幼なじみから中
学・高校の仲間、仕事仲間に怪しい奴ら?と時間の許す限り酒を酌
み交わす。先頃も秋田の小野氏と山形の谷口氏の悪ガキ二人組(仕
事の客)と那覇で合流して呑んだのだが、気がついたら翌朝九時で
あった…‥。沖縄に行く都度に仲間が増えていくのが不思議ではあ
るが、沖縄にはシンパシーを感じる何かが存在するのであろう。
 沖縄を飛び出してからいろんな奴と巡り会ってきた。行方知れず
になった奴もいれば死んだ奴もいる。人は一人で生まれ一人で死ん
でいく…‥と同時に人に支えられて生かされている事を忘れてはな
らない。人との絆は時間をかけ培っていくものだが、失う時は一瞬
である。原点はゼロからの出発で「失うものは何も無い!」と突っ
走ってきたつもりだが、人との出会いや別れが私の生き様に影響を
与えた事は否めず、人は失いたくない大事な宝である。
 さて、今回が最後の稿である。自分を曝け出してしまえと考え、
思いつくままに好き勝手な事を書いてきたが、お叱りや励ましを頂
いた方達と自由にやらせて頂いた琉球新報社に感謝したい。
吐き出した言葉は全て自分に跳ね返ってくるのではなかろうか。
 終わりは始まりである。
※ドゥシグワァー=友達
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