【コラム8】 『想像から創造へ』 ―兼城祐作―
 ここ何年も仕事漬けの日々を過ごしている。「魂売ってまで仕事をして
はいけない」と己に言い聞かせながらも、自分自身を切り売りしてる矛盾
と葛藤している毎日である。
 《壊す事から始めよう。きれいなカタチはいらない、そこにしか存在し
ない独創的で自由なカタチが欲しいのである…‥中略‥…私たちは表現す
るカタチにこだわり、原点を見失わず、変化しつづける集団で在りたい。
自分との戦いに勝つか敗けるかただそれだけである。》
 この言葉は私の主宰する「造形集団」ホームページの冒頭に出てくる概
念である。言葉の示すが如く形式にとらわれないシュールなカタチを求め
ているのだが、そう簡単にはいかず、試行錯誤してるのが現状である。
 大袈裟かもしれないが、創造する事は五臓六腑に溶け込んでいると言っ
ても過言ではなく、常にデザインする事と戦っている。
カタチを構築するのは机上に限らず、風呂やトイレやベッドの中、新幹線
や飛行機での移動中、音楽や映画や小説に浸っている時、はたまた酒に酔
い痴れている時、あげくは夢の中にまでそれこそ二十四時間至る所でデザ
インのヒントを模索している。想像する行為に犯されていると言ってもよ
い。瞬間的に思いつくので、その都度に書き留めるようにしており、私の
家のトイレやベッド脇の壁にはメモ用紙が無造作に貼りつけられ、手帳の
中にはアイディアが思いつくままに書き込まれストックされている。
カタチはリアルな日常の中に転がっており、デザインとは楽しむ為に存在
するのではないのだろうか。
 私には店鋪デザインに対する特別な才能や能力があったわけではない。
ただ、ひとつ言える事は、想像する事を楽しめる単純な“デザインバカ”
だったからこそ、今日までこの仕事を続けてこれたのかもしれない。私の
デザインは我流の雑草ではあるが、踏まれれば踏まれる程に反発してパワ
ーになるのである。
 これまでに私は想像した“カタチ”を創造に変え、具現化する事で有機
的なデザイン表現を試みてきた。だが、満足せず、何度でも壊し、再構築
させ、ギリギリまで突き詰めて深くこだわらなければ、魂に突き刺さる独
創的なカタチは生まれてこないのである。私にとって創造する事は生き様
であり、己を表現する為の唯一の手段と言えるのではなかろうか。
“小さな完璧さ”よりも“大きな未熟さ”が大事である。
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