海外向け日本誌/WORLD
もし1000年後、人類が火星に移住したとしたら、そこにある飲食
店の店鋪デザインはおそらくバールのようになるだろう。実際、恵比
寿にある兼城祐作氏デザインのこの場所に足を踏み入れた時、我々は
重力が消えていくような感覚を覚えた。航空母艦のフライトデッキを
思わせる大きな屈折したカウンターは、アーティストのパレットのよ
うにカラフルなビー玉が飾られたランプに照らされており、我々はそ
の横を月の世界を思わせる音楽に合わせムーンウォ?ク気分で歩きブ
ース席まで進んた。店内を飾る大きなアーチ型を描く支柱の黒いフレ
ームにもビー玉は飾られており、また作り付けの和紙のランプはほの
暗く赤い輝きを放ち、別世界のようなイメージを作り出す一因となっ
ている。しかし、この未来的な舞台の中にいても、ウルトラモダンな
家具の隙間から見えるアンティーク風のレンガの壁や沢山の種類のモ
ルトウイスキーが載ったメニューは現実世界を感じさせてくれた。ス
ペイサイド、ハイランド、ロウランド、アイラとその周辺の島々から
集めた200種類以上のバーストックやその日のお勧めはそれぞれス
トレートかオンザロックである。その夜はスコッチではなくカクテル
から始めようと、我々はスティンガーとソルティードッグを頼んだ。
バーテンダーが時間をかけてカクテルの作っている間、辺りを見渡て
みると殆どの客は身なりも良く、いかにも高級好みといった感じで気
取った会話に夢中になっていたが、ありがたいことにブースを仕切る
漆黒の堅材と監獄のような鉄の柵が我々を騒音から守ってくれた。こ
の店はスタイルだけで中身はないのではという当初の心配は無用であ
った。カクテルは新鮮なフルーツの絞り汁と最高の酒で作られており、
ツナとアンチョビが飾られたニース風サラダはたくさんの葉野菜とカ
ラーピーマン、オリーブが入って値段以上の内容であり、シーフード
と野菜のパプリカ煮はホテルの料理にも負けない程のものであった。
我々はしばらく店にいて、よく冷えたグラスホッパーとジャックロー
ズを飲み、温かいシナモンバター風味のラム酒を飲んだ。我々は決し
て広くはないこの店の、欧州で見るバールの雰囲気に混在した兼城氏
独特のディテールへのこだわりと、何でも揃っている宇宙的で妖艶な
インテリアデザインにすっかり魅了されてしまい、恵比寿のラブホテ
ル街にある事をすっかり忘れていた。
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