【コラム3】 『アイデンティティー』 ―兼城祐作―
 人は大人になるにしたがって、子供の頃に抱いていた気持ちや、
思春期の頃に描いてた夢を諦めてしまう事に疑問を持たずに生きて
いるが、本当にそれでいいのだろうか?
 物心ついた頃に見た風景は、歳を重ねても忘れないものらしい。
私が生まれ育ったのは沖縄市にある古謝という土地である。山に囲
まれた集落で、家のすぐ近くには泡瀬の海があり、自然に恵まれた
環境であった。現在は埋め立てられてしまって見る影も無くなって
しまった海岸線だが、当時はウミンチュが多く居て潮の匂いのする
家屋が点在していた。今となっては懐かしい風景である。
 その頃は親に内緒で海に釣りや潜りに行き、探険隊と称して山に
登って虫や鳥を捕まえ、防空壕を見つけては宝物を隠し、ウージ畑
やガジュマルの上に基地を作ったりしたものである。毎日がワクワ
ク・ドキドキの連続で、学校の宿題もそっちのけで常に工夫を凝ら
して新しい遊びを追い求めていた。子供の頃に得た体験は今でも鮮
明に憶えており、身体に刻み込まれている。
 そんなある日の朝、いきなり親父に叩き起こされてコザの町へ連
れていかれ「これを憶えておけ」と言われた。七十年十二月二十日
の“コザ暴動”である。無数の車が引っ繰り返されて黒煙があがっ
ている光景は十歳の私に衝撃を与えた。沖縄のもう一つの現実を突
き付けられて、子供心にも不条理な憤りと痛みを感じたのである。
 それから十八で沖縄を飛び出すまではコザの町が遊び場になる。
酒、音楽、失恋、矛盾、挫折…‥コザで学び得た事は数多くあり、
その中でも“ドゥシグワァー”は大きな財産となった。
 この歳になって改めて実感する事だが、子供の頃の育った環境や
思春期に経験した事が、私の生き方に影響を与えていることは否め
ず、貴重なアイデンティティーとなっている。
 身体に染み込んだものを捨て去り、沖縄を越えていきたいと思う
のだが、越えきれない自分がそこにいる。“得る事”と“失う事”
は同時に存在する。だが、決して諦めてはいけない事がある。
 人は自分自身を失う為に生きてるわけではない。
※ウミンチュ=漁師
※ウージ畑=さとうきび畑
※ガジュマル=沖縄では精霊(キジムナ)が
 棲むと言われている大木
※コザ=現在の沖縄市。戦後に米軍基地のゲー
 トを中心に繁栄して「基地の街」とも言われ
 た。チャンプルー文化の発祥地でもある。
※コザ暴動=本土復帰前の米軍統治下では、米
 兵による犯罪や事故は琉球政府では裁けず、
 無罪になる事があたりまえだった。そういう
 状況下にコザの繁華街で米兵が民間人を車で
 ひいて逃走する事件が起きた。事故処理に来
 たMP(米軍憲兵隊)が取り囲んだ群衆に向
 けて威嚇発砲した事により、これまで蓄積し
 ていた怒りが爆発し暴動となる。米兵車両を
 次々と引っ繰り返して焼き払い、基地内にも
 乱入した。出動した米軍はベトナムで使用し
 たCSガスをヘリからまいて鎮圧するが、群
 衆の勢いは止まらずに増えていき、五千人に
 も膨れ上がり、暴動は朝まで続いた。
※ ドゥシグワァー=友達
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