【コラム6】 『酔って候』 ―兼城祐作―
 カッコヨク酒を呑みたいものだが、悲しいかな、なかなかそうもいかないもの
である。
 先日、恵比寿にある行きつけのバーで一人呑んでいると、隣の客が話し掛けて
きた。聞くと沖縄病らしい。そのまま沖縄論議で意気投合して愉快に呑んだ。
だが、そのあとがいけない。翌朝目が覚めると、不覚にも靴を履いたまま寝てし
まっていたのである。我ながら情けない話だが、酒での失敗はキリがない。
 なにを隠そう私は酒が好きである。内緒の話だが、コザ高の頃はよく呑んだ。
いけない事と知りつつも、語り合い、泣き、笑い、唄い「一生ドゥシグワァー」
とウィスキーのボトルに落書きをし、仲間達と朝まで呑んだものである。
 東京では高円寺に住み着き、学校もそっちのけでバイトに明け暮れていた。
日銭が入ると駅前の立ち呑み屋で“バクダン”なる怪しげな焼酎割りを呑み「稲
生座」というライブハウスで朝まで呑んだくれた。客は、売れないバンドマンや
役者、デザイナーに小説家、はたまた自称芸術家まで多種多才?な連中がたむろ
していた。誰彼なく議論し、酔い潰れるまで呑み、翌朝は自己嫌悪に陥ったもの
である。唯一の共通点は、金はなくとも夢がある事であり、反骨のエネルギーに
満ち溢れた空間であった。
 社会に出てから、酒の呑み方を教えてくれたのは、恵比寿「さいき」の女将と
神楽坂「伊勢籐」の親爺である。最初に暖簾をくぐった時には「酔っ払いに呑ま
せる酒はない」と追い返されたが、めげる事なく通い続けた。よく怒鳴られたが
分け隔てなく客と接し、常に旨い酒を提供する姿勢は達観した凄味があり、そこ
から学んだ教訓は計り知れない。
 この頃は仕事での酒が増えており、銀座・六本木界隈へと繰り出す事が多くな
った。又、東京だけに限らず、札幌のススキノ、函館の本町、秋田の川端、山形
の七日町、京都の祇園、大阪の新地、博多の中洲、鹿児島の天文館、沖縄の松山
にロンドンのソーホー…‥と、仕事と称してあちこちの町で呑んだくれている。
 一杯呑み屋からオネエチャンの店までと、境目のない相変わらずの酔っ払いで
はあるが、いろんな土地に呑み仲間が増えていく事は嬉しい限りである。
思い返すと、酒が取り持つ縁ではあったが、酒場で学んだ人生観や出会えた人達
は、私にとって得難い財産となっている。
 ビール腹を気にしつつ呑む様はダンディズムを気取るには程遠いが、旨い肴で
酒を呑み、酔いながら語り合う…‥ダサクとも酒呑みには堪らない瞬間である。
 カッコワルイってことはカッコイイのではなかろうか。
※ドゥシグワァー=友達
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