【コラム7】 『ルーツ』 ―兼城祐作―
 目指した山の頂上に辿り着いたら、有頂天にならずにそこから降りて、もっと
高い山を目指す勇気が必要である。「これで良し」と現状に満足した時点で終わ
りではなかろうか。
 現在はなんとか一丁前の顔をして店鋪設計の仕事をやらせて頂いているが、ふ
と、働く事を意識したのはいつ頃で、何故、店鋪デザインという仕事を選んだの
だろう?と思いを巡らせてみた。
 さかのぼると小学校時代の新聞配達や、冬場のウージカタミヤーが初めて働く
意義を教えてくれた気がする。正直に言うと遊び盛りの子供にとって、毎日休む
事のない朝夕の新聞配達や休日のウージの手伝いは辛かったが、今の仕事に必要
な責任感や忍耐力を知らず知らずのうちに叩き込んでくれた。又、親の方針で我
が家ではオモチャを買う事は禁止されていた。その代わりにベニヤ板等で工夫し
て玩具を作ったり、絵を描く事は好きなだけやらせてくれた。友達の持っている
ピカピカのプラモデルや漫画本には程遠く、不細工な形の手作り玩具と新聞のチ
ラシ裏に描いた絵ではあったが、自分で創造する楽しさを自然に覚えた。その経
験が私の想像力に影響を与え、デザインの仕事を選んだルーツになっている。
 そういえば、先日、久しぶりに実家で飲んでる時に「貯金シトクサと言ってい
た新聞配達代は?」とお袋に聞くと、家を指差し「ここに消エタサ」とニコニコ
笑っていた…‥。決して裕福とは呼べず、悪さをすると親父に殴られ育てられた
が、厳しくとも自由な家庭環境がなければ今の私は存在しなかったであろう。
 上京してからは様々なバイトを経験した。皿洗いから土方まで日銭が稼げる仕
事は何でもやった。ほとんどが酒代に消えていってしまったが、その頃の地べた
を這いつくばるような体験が、何かにつけて現在の仕事に役立っている。
 バイト漬けで学校をサボっていた為、卒業後は設計事務所には入れず、看板専
門の施工会社に始まり、六ヶ所の会社を渡り歩いた。なんとか設計事務所に潜り
込んでも、デザインの仕事はやらせてもらえず、先輩の嫌がる仕事を盗む事から
始めた。又、人と同じ事をやっても駄目だと考え、会社に寝袋を持ち込んで泊ま
り込み、とことん仕事漬けになる状況に身を置いた。何度も壁にぶつかり、押し
潰されそうになったが、コンプレックスをエネルギーに変え、失敗すらポジティ
ブに楽しむ事で「したたかであれ!」と自分の信じた道を目指したのである。
 人はそれぞれに自分だけにしかない種を持って生まれてくる。だが、人の何倍
もの努力を重ね、魂込めて育てなければ、自分の花を咲かせる事はできない。
 私の種に水をまいてくれた両親に感謝したい。
※ウージ=さとうきび
※ウージカタミヤー=さとうきび運び
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